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Oct 31, 2004
《第17回東京国際映画祭受賞作品・受賞者一覧》

今年の審査委員。(左から)佐々木 史朗(プロデューサー)、イ・チャンドン(監督)、ヴィルジニー・ルドワイヤン(女優)、審査員長 山田 洋次(監督)、シェカール・カプール(監督)、ピアース・ハンドリング(映画祭ディレクター)
《第17回東京国際映画祭受賞作品・受賞者一覧》
《コンペティション 部門》
〈東京グランプリ〉
『ウィスキー』(配給:ビターズ・エンド)
〈審査員特別賞〉
『ココシリ:マウンテン・パトロール』[原題](配給:SPE)
〈最優秀監督賞〉
イム・チャンサン 『大統領の理髪師』(配給:アルバトロス・フィルム)
〈最優秀主演男優賞〉
オルジャス・ヌスパエフ 『スキゾ』(日本公開未定)
〈最優秀主演女優賞〉
ミレージャ・パスクアル 『ウイスキー』
〈最優秀芸術貢献賞〉
『ニワトリはハダシだ』(配給:ザナドゥー)
《アジアの風 部門》
〈最優秀アジア映画賞〉
『可能なる変化たち』(日本公開未定)
〈コンペティション特別枠〉
『花咲く春が来れば』(日本公開未定)
《日本映画・ある視点 部門》
〈作品賞〉
『樹の海』(配給:ビターズ・エンド)
〈特別賞〉
津田 寛治 『樹の海』の演技に対して
《コンペティション 部門》
〈観客賞〉
『大統領の理髪師』
【黒澤明賞】
スティーブン・スピルバーグ
山田 洋次
2004 10 31 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
Oct 30, 2004
TIFFスタッフ日記 10月29日(金)
コンペティションの上映が「インストール」を残して最終日を迎えました。昨年から倍以上に増えたティーチインも、今日限りで落ち着きます。
ヴァージンシネマズのスタッフさんと映画祭スタッフのティーチイン進行のコンビネーションも何とかか形になってきていたので、ちょっと残念(?)。とにかく、ティーチインを支えてくれたヴァージンのスタッフさんと司会、通訳さん、そして何よりも来場してくれたお客様に感謝です。サインを求められたり、写真を撮られたり…ゲストたちは皆さんとの触れ合いを大いにエンジョイしていましたよ!
とにかく、あと2日で映画祭は終了します。終了までにはまだまだ様々なイベントが盛りだくさん!是非、立ち寄ってみてくださいね。
2004 10 30 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
Oct 29, 2004
TIFFスタッフ日記 10月28日(木)

事務局は午前1時をまわりました。でも写真の通り、まだたくさんの人が仕事をしています。明日からは、いよいよ本格的に六本木と渋谷の2会場が稼動するため、スタッフの一部は終日打ち合わせに追われていました。
そして、今更ながら実は地震のこと。みなさんも経験したように、私たちも映画祭が始まって2回地震を体験しました。
一度目はオープニングの日、そしてもう一回は昨日でしたが…すごいんですね。地震って…。特に40階に設置されている事務局の揺れは激しかった!スタッフは言葉を失い、仮設控え室の壁が音をたてて大揺れ。すっかりビビッていたら、今度はエレベーターが緊急停止。一台ずつ点検が入るため、復旧には約1時間がかかる。2回目の地震の時には、エレベーターに乗るのにズラ~っと行列ができる始末。ゲストが足止めを食らうんじゃないかと、みんな大慌てでした!いやいや、高いビルって大変ですね。
今頃、ゲストたちは公式パーティーで朝まで遊んで、交友を深めていることでしょう。はるばる世界各地からやってきたゲストにひとときでも楽しい時間をすごしてもらえれば私たちは嬉しいです。そんなゲストのためにも、これからもまだまだ残業は続きます。
じゃあ、また明日!
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Oct 28, 2004
TIFFスタッフ日記 10月27日(水)
通訳の小林のりこさんがプレゼントしてくれたユキちゃんです
映画祭も中日に達しました!たまった疲れも、折り返し地点を迎えて少し緩和した気分。
ところで、今日は司会、通訳さんたちの活躍についてご紹介しましょう。
映画祭の上映スケジュールのうち約半分くらいにはティーチインと称した質疑応答があります。映画の上映後に監督や俳優が登壇して観客の質問に答えてくれる、これもまた、映画祭らしいイベント(?)のひとつです。そこでなくてはならない存在が司会者さんと通訳さんたちです。
さまざまな言語に対応してくれる通訳さん、ティーチインをスムーズに進行してくれる司会者さんは、それぞれに個性豊かな人たちが揃っています。普段はじかに見る機会の少ないプロの技を目の前で見せてくれるのも、ティーチインの隠れた魅力。30分間という限られた時間を有効に使うため、司会者さんも通訳さんもそれぞれに試行錯誤をして
観客の皆さんが楽しめるように演出を考えてくれています。みなさんも、是非そんなプロ集団の技をお楽しみあれ!
text by 南舘 聖子
2004 10 28 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
Oct 27, 2004
TIFFスタッフ日記 10月26日(火)
『理由』
私は毎朝、栄養ドリンクを3本買い込んで、事務局へやってきます。というのも食事をとるヒマがないときもあれば、連日、高くてながーい森ビルをあちらこちらと歩き回って、すっかり体力を消耗しているから。
どのスタッフも、とにかくよく動くんです。そのおかげで、誰がどこにいるのかわからない!
上映、イベント、ゲスト入り…スタッフが配置される場所は、とにかく毎日広範囲にわたっているのです。
そうそう、今日は大林宣彦監督が「理由」のティーチインに来てくださいました。ティーチイン終了後、単に会場内の案内をしただけの私に、握手をしてくださった監督に、感激。1日中歩き回ってへとへとだった私には、栄養ドリンクよりも何十倍も良く効く思いやりでした。監督ありがとうございました。
2004 10 27 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
Oct 26, 2004
ヴィスコンティ映画祭 10月25日 あとがき
ルキーノ・ヴィスコンティ
ヴィスコンティの全作品が、しかも修復版で上映された2004年秋。何だか、不思議な感じがした。卒論で「ヴィスコンティ論」を書いていた15年ぐらい前には、“観たい”とは思っても“観られる”とは思っていなかった《レトロスペクティヴ》。それが“未公開作品も含む全作品を修復版で上映”というベストの状態で開催され、傑作『山猫』は映画祭が終わった週末から劇場公開されている。日本での最初の不遇を思うと、これはやっぱり、何となく不思議な感じがしてしまった。
ヴィスコンティは、19世紀の欧州文化を核に創作を展開した20世紀の映画作家。そんな彼の世界は、今再び、多くの人に観られるべき内容だと思うけど、21世紀の観客、特に初めての観客の目に、その世界はどう映ったのだろう。「『山猫 イタリア語・完全復元版』が初日前回フルキャパ」という記事を見ながら、ふと、そんなことを思った。
それと、ヴィスコンティ作品とは別に思ったことが1つ。初めてではないけれど、“フィルムは儚い……”ということ。フィルムの最良の保存には、実はかなりデリケートさが必要。ところがつい最近までそれがなされなかったがために、多くのフィルムが傷み、上映不可能な状態になっているものもある。初期の作品には完全に失われたものもあるだろう。どんなに優れた作品でも、保存が悪ければ消えてしまう映画。幸いヴィスコンティ作品は、作品によって状態の差こそあれ残っていた。そして『山猫』は、国家予算を使った文化事業として修復され、他の作品もチネテーカ・ナツィオナーレが修復を続けている。ヴィスコンティ作品とそのファンは幸せだと思った。今まで創られてきた数多く作品の、一体どれだけが同じような手当を受けられているのだろう。フィルム修復は、今後益々重要になるはず。とても嬉しいレトロスペクティヴだったけど、ちょっと複雑な気分になった。
とはいえ、ヴィスコンティ研究の第一人者、映画評論家の柳澤一博さんも「復元版を纏めて観られるのは今回が最後だと思う」と言う今回のヴィコンティ映画祭、取りこぼしががあったのは悔やまれるけど、十分に堪能しました。2006年はヴィスコンティの生誕100年。何かやれればいいな、と思ったりもしたのでした。
2004 10 26 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
『やさしい嘘』キャスト来日記者会見

(左)支えられるエステール(右)おしゃれが好きな彼女は劇中でもやっぱりおしゃれです
9月17日/セルリアンタワー東急ホテル
「日本語が話せたらもっといいのに……」(by エステール・ゴランタン)
3つの世代の3人の女性の生き方を温かいまなざしで描いた『やさしい嘘』(10月30日~日比谷シャンテ シネほか全国で公開〈地方は順次〉)。その主人公、エカおばあちゃん役を演じたエステール・ゴランタンが来日し、記者会見を開いた。
彼女は1999年にエマニュエル・フィンキエルの『故郷への旅』のオーディションに受かり85歳で女優デビュー。今年91歳を迎えるポーランド出身のスーパーおばあちゃんだ。文化も気候も全く違う日本に来ても、「日本に来れてウレシイ。日本語が話せたらもっと皆さんと交流できるのに。本当に残念よ」と挨拶する姿は、とても高齢を感じさせない元気さだ。
「完成した作品を観てとても感動したわ。人工的に創り上げた感じではないところが好き」と作品について語ったゴランタン。自分の孫に見せたところ、「みんなには映画のことを話してなかったから“何をやっているの!?”って驚いていたわ。フランスでも大ヒットしたし、そのことも驚いていたわよ」だそう。
演技については、「遊び半分でこの世界に入ったし演技は難しいと思う。でも、そのことを受け入れて学んだ後にこそ結果があると思うし、重要なのは結果だと思うの。その達成感が感じられて嬉しいから続けているの」と落ち着いた口調で話した。
“何かやりたいことはある?”と聞かれ、「世界の平和が夢。個人的には考えていないわ」と静かに語る彼女は、第2次世界大戦中にナチスの迫害を受けたユダヤ人。「あの頃は多くの人が大変な思いをしていたわ。でも時代というのは、苦しみの時があって明るい時が来る。その繰り返し。どの時代でも希望を持つことが大切だわ」と淡々と話した。
困難を乗り越え第2の人生を歩んでいる彼女だから表現できた憂いや喜び、優しさに心打たれる本作は必見だ。
2004 10 26 [記者会見レポート] | 固定リンク | コメント (0)
『オールド・ボーイ』監督来日記者会見
オ・デス人形とパク・チャヌク。コ、怖い……。
9月15日/セルリアンタワー東急ホテル
「韓国語を学ぶならチョ・ナンカンさんの本がいいですよ」(by パク・チャヌク)
今年のカンヌ国際映画祭で見事グランプリを受賞し、審査委員長のクエンティン・タランティーノも「グレイト!」と絶賛した『オールド・ボーイ』(11月6日~シネマスクエアとうきゅうほか全国〈地方は順次〉)。その監督パク・チャヌクが急遽来日し、記者会見を開いた。
10回以上来日しているパクだが、「暑い時期に来たのは初めてでちょっと苦労しているんだ」だそう。「でも、さっき映画のポスターを扱っているお店で大好きな黒澤明監督の『天国と地獄』のポスターを購入したのでご機嫌です(笑)」と笑顔で挨拶した。
「漫画アクション」誌(双葉社)で連載されていた土屋ガロン・原作、嶺岸信明・画の「オールド・ボーイ」映画化のきっかけについて、「この映画を創ろうとした1年前にポ・ジュノ監督(『吠える犬は咬まない』『殺人の追憶』)から薦められたんだ。でもなかなか本を入手出来ず、ずっと読めない状態で、その1年後、プロデューサーから“映画化をしないか”って提案があったんだ。本当に運命的な出会いだと思ったよ」と語るパク。
原作の感想を聞くと、「2人の主人公が精神的に社会のアウトサイダーになっていくくだりや、2人が壮絶な戦いを続けていくうちに相手に愛情を持つようになるというところに注目したね」。
そんなパクは昨晩、原作者の土屋ガロンと会食したそう。その時のことについては、「1つの道を孤独に歩いてきた人という印象で、シンプルな言葉の中に深い考えや洞察力を持っていると思う。ある人に“どうしてそういう作品ができるのか?”と聞かれた彼が、“自分自身、書いていながら次がどうなるのか判らない。だから読者はますます判らないのでは?”と答えていたのを聞いて、私も全体のストーリーを決めてからシナリオを書くのではなく1シーンづつ書いていくので、とても似ていると感じた。だから今度プロデューサーに“物語を決めてから書いてくれ”と言われたら彼のように答えて言い返そうと思う(笑)」。「数年来知っている先輩に会っているようだった」とすっかり意気投合した様子だった。
「“もし15年監禁されるなら?”。そうだね……オ・デス(チェ・ミンシク)が解放された後に思い当たる犯人の名前を上げるシーンがあるけど、実は出てくる名前は今まで僕の助監督をしてくれた人なんだ。もしかしたら傷つけてしまったかもしれないと思って彼らの名前を使ったんだけど、復讐されるならその方面だと思うよ(笑)」。ささいなことで事件が起こる現代にピッタリ(!?)なテーマかも……。
2004 10 26 [記者会見レポート] | 固定リンク | コメント (0)
TIFF 星取り第2回目
『るにん』 ★1/2
一人よがりの大悲劇。苦労して作ったろうに。間違って受賞あり?
by 浦崎浩實
2004 10 26 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
TIFFスタッフ日記 10月25日(月)
今年のメインの上映開場はヴァージンTOHOシネマズ六本木なのですが、今日はその劇場のスタッフさんについて。
7スクリーンをフル稼働させて、毎日様々な作品を上映してくれるヴァージンのスタッフはトラブルに困窮する我々を
力強く支えてくれる、いわば縁の下の力持ち的な存在。お客様への対応以外に、舞台挨拶、ティーチインの舞台裏でもかな~り頼れる存在です。
さらに、初めての映画祭ということもあり、我々のワガママにもひたすら前向きに取り組んでくれていることにもとっても感謝しています。会場内にはスタッフパスを首からぶら下げている我々と黒の衣装でビシッと決めたヴァージンのスタッフがいてそれぞれに協力体制で動いています。
映画祭のスタッフになるということは、世界の映画やゲストと触れ合う…以外にも、こうやって初めて会ったスタッフたちとチームワークを組んでいける醍醐味みたいなものもあるんだな、とめっきり家に閉じこもりがちな私は思ってしました。
ヴァージンTOHOシネマズの皆さん、これからもヨロシクお願いします!
text by 南舘 聖子
2004 10 26 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
Oct 25, 2004
TIFF 星取り第1回目
『ニワトリはハダシだ』 ★
無残な老匠の偽善的でアホくさい愚作。コンペ出品が不思議。
『風のファイター』(韓国公開バージョン) ★★
日本を舞台にしたミョ~な韓国映画。キッチュ好みの人は必見かも。
『ハリオム』 ★★★1/2
インド版『旅情』。風物、人情が楽しく、こちらも旅している気分に。
『インストール』 ★
現代風俗をいかにも賢しげに皮肉る背伸びした少女が痛々しい!
『ココシリ:マウンテン・パトロール』(原題) ★★★★★
辺境の雄大で苛酷な大自然と人間の運命が衝撃的。近来にない傑作。
『ミラージュ』 ★★★★1/2
家庭からも学校からも見捨てられた少年の孤独な刃の鋭さに驚き!
『時の流れの中で』 ★★★
台湾、故宮博物館の“寒食帖”を巡る主題が珍しい。人物は弱い。
『ライス・ラプソディー』 ★★1/2
ゲイの息子ばかり3人持った母親の嘆きを描くが、大甘!
『スキゾ』 ★★★★★
愚鈍そうな少年の意外な利発。ユーモラスで、ラストに快哉!
『サマーソルト』 ★★★★★
愛を乞う少女の成長をひりひりと切なく描く。周辺の人物もいい。
『狼といた時』 ★★
狼を愛する主人公の“揺れ”を描くが画面も人物もどこかTV的。
『ウィスキー』 ★★★★★
すべてが時代遅れの光景の中で繰り広げられる人間喜劇が泣かせる。
by 浦崎 浩實
浦崎さんのプロフィールはコチラ
2004 10 25 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
TIFFスタッフ日記 10月24日(日)

映画祭二日目の、最初のお仕事はコンペティション部門にノミネートされている奥田瑛二監督作「るにん」の記者会見からでした。
なんと言っても、主演の松坂慶子さんの美しさには完全に圧倒されちゃいました。この映画のために随分と体重を落としたそうです。そして、夕方にはコンペティション部門の出品ゲストを招いて、六本木アリーナで行われたコンペティションお披露目イベント。ちょっと肌寒い空の下、コンペの監督たちが一同に介して自らの映画についてコメントをしてくれました。それぞれの監督に個性があって、ユーモアのセンスもそれぞれに違うこところに、「ああ、国際映画祭だけに、いろんな人がいるなぁ」なんて思っちゃってました。明日は15:30から、同じく六本木アリーナでアジアの風部門のお披露目イベントがあるので、よかったら皆さんも来場してみてくださいね!
では、また明日~!
text by 南舘 聖子
2004 10 25 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
Oct 24, 2004
TIFFスタッフ日記 10月23日(土)
『隠し剣 鬼の爪』レッドカーペット
いよいよ東京国際映画祭が初日を迎えました!これから10日間、六本木と渋谷をメイン開場に世界各国の映画が上映されます!
昨日から来日しはじめたゲストたちも、今日はタキシードやドレスに身を包み、200メートルものレッドカーペットを歩いてくれました。華やかな雰囲気と、6000人も集まった見物客で会場の熱気は最高潮!まさに東京国際映画祭にふさわしいオープニングとなりました。そして、映画祭スタッフといえば、初日で業務は右往左往の大混乱(?)。思いもよらないハプニングも続出して、誰もがバタバタとあわただしく走り回っていたのでした。ほとんと徹夜状態のスタッフが多い中、それでも何とか1日の終わりを迎えることができたのは、私たちを支えてくれた多くのスタッフ、ゲストたち、そして何よりも映画祭に足を運んでくれた観客のみなさまのおかげでした。映画祭に興味のある方も、ふらっと六本木に立ち寄られる方も、是非、一度立ち寄ってみてくださいね。では、また明日!
text by 南舘聖子
南舘さんのプロフィールはコチラ
2004 10 24 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
Oct 19, 2004
ヴィスコンティ映画祭 10月18日(最終日)

チケットを16日(土)に購入した初回の『若者のすべて』を観る。2回目の『家族の肖像』は、何となく会議とかが入りそうな予感がしてチケットを買わないでおいたら、やっぱり動かせない用事が入った。
家族を描いた絵画に囲まれて暮らす初老の孤独な教授(バート・ランカスター)の姿に、家族の在るべき姿を問い、同時にヨーロッパ文明の終焉を重ねたこの作品。ヴィスコンティが血栓症のリハビリ明けに、しかもスタジオで撮ったためこじんまりしているが、その分、良くまとまっている。結局、今回の映画祭で、『夏の嵐』『ルートヴィヒ』『イノセント』『揺れる大地』『家族の肖像』の作品を観逃してしまった。
先にも触れたように、『若者のすべて』はヴィスコンティが最も愛着を感じていたと言われる作品。家長の死をきっかけに、南部ルカーニアから北部ミラノに移住するパロンディ家。母親ロザリア(カティーナ・バクシー)は4人の息子たちを連れ、そこで暮らす長男ヴィンチェンツォ(スピロス・フォーカス)を訪ねるが、ジネッタ・ジャンネッリ(クラウディア・カルディナーレ)との結婚を控えあまり頼りにならない。大都市の生活は厳しく、強かった家族の絆はやがて壊れていく。次男シモーネ(レナート・サルヴァトーリ)は娼婦ナディア(アニー・ジラルド)に溺れて身を持ち崩し、三男ロッコ(アラン・ドロン)はそんな兄をかばって望まない道を歩き始める。そうした中、四男チーロ(マックス・カルティエ)は何とか足場を固め、五男ルーカ(ロッコ・ヴィドラッツィ)はパロンディ家の希望を背負って未来と故郷を見つめていた……。南部移民の問題と人間の業を抉ったこの作品は、ヴィスコンティ前期を締めく括った、ヴィスコンティらしさに満ちたまぎれもない傑作だ。
ところで上映中、とんでもないことがあった。ナディアがロッコと真剣に恋におちたことにシモーネが逆上、チンピラ仲間を従えてロッコの目の前でナディアをレイプする。その後、共にボクシングをやっているロッコとシモーネは殴り合いを繰り広げるのだが、ロッコのパンチがシモーネに決まった瞬間、「殺っちまえー!」という男性の大声が場内に炸裂。そして一瞬の間の後、場内はクスクス笑いの渦に……。僕は固まってしまったけど……(苦笑)。
2004 10 19 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
Oct 18, 2004
ヴィスコンティ映画祭 10月17日(10日目)
初回の『ルートヴィヒ』は早々に“売切”になったので、観たかったけど無理。同業の弟がチケットを買っていたので会場の様子とプリントの状態を聞くと、やはり“場内は満席。プリントは綺麗だった”と言う。思わず「いいなぁ~」と言うと、「それが、ちょっと問題があってさ」。聞けば、「映写状態が悪かった。というか、乱暴に思えた」ということらしい。何故だろう? まさか映写がヘタだったなんてことはないよね……貴重な上映なんだからさ……。2回目の『ベニスに死す』は先日観賞済。ちなみに、いつなったのか判らないけど、この上映も“売切”だった。この日の2本、ヴィスコンティの一般的イメージ(「美しい男」とか「デカデンス」とか……)にピッタリだからだろうか?
2004 10 18 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
Oct 17, 2004
ヴィスコンティ映画祭 10月16日(9日目)

初回、『疲れ切った魔女』と『異邦人』の2本立を観る。2回目の『揺れる大地』、3回目の『家族の肖像』はヤボ用があって観られない。『家族の肖像』はもう1回あるけど、『揺れる大地』は今日が最後。残念。
『疲れ切った魔女』はオムニバス作品『華やかな魔女たち』の第1話。初見。“数々の伝説(!?)”を残す“剛腕プロデューサー”、ディーノ・デ・ラウレンティスが、当時の妻で“イタリアの名花”と謳われたシルヴァーナ・マンガノのために製作したワンマン作品。第2話はマウロ・ボロニーニ、第3話はピエロ・パオロ・パソリーニ、第4話はフランコ・ロッシ、第5話はビットリオ・デ・シーカ。冬のアルプス、人気女優グロリア(マンガノ)は友人ヴァレリア(アニー・ジラルド)の誕生祝いのため山荘を訪れる。場は大いに盛り上がるが、グロリアは過密スケジュールによる過労のせいか気を失ってしまい……。露出と隠蔽。ヴィスコンティ作品では“化粧”が重要な役割を果たすが、それが判りやすく提示されているのが確認できて良かった。後期ヴィスコンティ作品に欠かせないヘルムート・バーガーが、小さな役で初登場。
『異邦人』は初公開以来の35mmプリントでの公式上映のせいか、場内満席。TV放送のズタズタの短縮版は何度も観たけど、ノーカット版は初見。アルジェの船会社に勤めるムルソー(マルチェロ・マストロヤンニ)がささいなことから殺人事件を起こし死刑にされるまでを描き、人間と社会の不条理を浮かび上がらせたアルベール・カミュの同名小説の映画化。これは「ヴィスコンティ唯一の失敗作」と言われるが、確かにそうかもしれない。短縮版しか観ていないからおぼろげだけど、僕もそう思っていた。ただ初めてノーカット版を観て思ったのは、“単に「失敗作」でいいのか?”。「小説に忠実」にこだわるカミュ未亡人にアイデアを全て否定されながら監督を降りなかったヴィスコンティの狙いとその結果は、一度では判断しづらい。いろいろ確認しながらももう一度だけでも観たいが、この作品は権利関係が複雑というかはっきりしないようなので難しいだろう。もうしばらく、思い出しながら考えてみるしかない。ジュゼッペ・ロトゥンノのカメラは絶品。海と空、あのブルーは美しくも狂気めいて、妖しく魅惑的だ。
2004 10 17 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
Oct 16, 2004
ヴィスコンティ映画祭 10月15日(8日目)
初回、10日(日)に『ベニスに死す』と一緒に追加購入した『地獄に堕ちた勇者ども』を観る。2回目の『ベリッシマ』、3回目の『ある三面記事についてのメモ』と『熊座の淡き星影』の2本立は鑑賞済。
ドイツ三部作の幕開けを飾る『地獄に堕ちた勇者ども』は、前作『異邦人』でカミュ未亡人に「小説に忠実」を強いられたヴィスコンティが、抑えつけられ創造力と才気を大爆発させたパワフルな傑作だ。ナチスの暗黒を、人間の心の奥底に潜む邪悪を抉り出したが如きダークなトーンが全篇を覆い尽くす物語は、今も全く色褪せていない。もちろん、三島由紀夫も大絶賛したナチス親衛隊の突撃隊虐殺“血の静粛”のシークエンス等の映像も依然圧倒的だ。シェイクスピアの「マクベス」、ドストエフスキーの「悪霊」、マンの「ブッテンブローク家の人々」から想を得ているが、原案と脚本はヴィスコンティ、ニコラ・バダルッコ、エンリコ・メディオーリのオリジナル。
ナチスの暴走をまだ止められたかもしれない1933年。ドイツ、バイエルン地方の鉄鋼財閥エッセンベック家で、一族首長直系の孫マルティン・フォン・エッセンベック(ヘルムート・バーガー)とその母ゾフィ(イングリット・チューリン)とその従弟で親衛隊大佐のアッシェンバッハ(ヘルムート・グリーム)、そして3人の力で突撃隊幹部にしてライバルの会社役員コンスタンティン・フォン・エッセンベック(ルネ・コルデホフ)を蹴落として新総支配人に就任した会社役員フリードリッヒ・ブルックマン(ダーク・ボガード)らによる、野心と陰謀渦巻く権力闘争の幕が切って落とされた……。崩壊していく家族の様に人間の真実を見つめたヴィスコンティ作品の中でも最も壮絶なドラマが展開するこの崩壊劇が描くのは、ナチスが暴力と恐怖で権力支配を完成させていく過程だ。この作品は古くなるどころか輝きを増していたが、それは例えば、描かれている暴走する権力の恐怖が、大なり小なりごく普通に世界を支配しているからだろう。これまで観てきた中では、この『地獄に堕ちた勇者ども』の修復が圧倒的に素晴らしかった。それでも資料によると、この作品にはまだ、当時の検閲でカットされた10分程度が欠落している。その修復を終えた版を早く観たいと思った。
2004 10 16 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
Oct 15, 2004
『スター・ウォーズ トリロジー』DVD BOX発売記念プレミアイベント

(左写真)C-3POとアンソニー・ダニエル
9月14日/フォーシーズンズホテル椿山荘
「僕の衣裳は28年間全然変わってないんだ!」(by アンソニー・ダニエルズ)
1977年に第1(エピソード4)作目が全米で公開されて以来、世界中で絶大な人気を誇り続けるSF超大作『スター・ウォーズ』シリーズ。その旧(第2部)3部作『新たなる希望』『帝国の逆襲』『ジェダイの帰還(『ジェダイの復讐』改題)』が遂に待望の初DVD。9月23日に『スター・ウォーズ トリロジー』DVD BOX(FHE/9,975円・初回限定生産)となって発売される。そのPRのため、シリーズ全作品に出演しているC-3PO役のアンソニー・ダニエルが特別に来日し、イベントに参加した。
2週間前に『エピソードⅢ』(2005年公開予定)の撮影を終えたばかりというダニエルは、「600万語話せるC-3POですが、日本語は入ってないみたい」と会場を沸かし、「28年間、着心地の悪い衣裳を着続け、スクリーンアイコンの代表となるキャラクターになってしまった(笑)。撮影技術は進歩したけど、僕の衣裳は最初の物と全然変わってないんだ!」と役について話した。
この役を演じるまではシリアスな役が多かった彼は「最初はSF作品に出演する気はなかった」そう。「しぶしぶルーカスに会いに行ったんだけど、その部屋にあったコンセプト画のC-3POと目が合ってしまってね。ユニークなキャラクターに惹かれたんだ」と出演のきっかけを語った。
「C-3POのキャラクターは日本人を真似ているんだ。礼儀正しいし繊細だからね」としっかり日本人にアピールしたダニエル。28年前と変わらない体型を保っている彼の軌跡と『エピソードⅢ』の予習を兼ね、特典映像も満載のこのDVDを買ってみては?
2004 10 15 [記者会見レポート] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
Oct 14, 2004
ヴィスコンティ映画祭 10月13日(6日目)
初回の『アンナ・マニャーニ』と『白夜』の2本立は観賞済。2回目、バイエルン国王ルートヴィヒⅡ世(ヘルムート・バーガー)の絶望と裏切りに満ちた孤独で壮絶な人生を描いた『ルートヴィヒ』は、ドイツ三部作の最後を飾るヴィスコンティ入魂の大作。ヴィスコンティはこの作品の精神的にも肉体的にも苛酷な撮影が災いし、脳血栓に倒れた。それにもかかわらず、初公開時は、ヴィスコンティと映画会社の契約によってやむなく184分に編集された版が『ルードウィヒ/神々の黄昏』として公開された。それでも十分いい映画だったと思う。ちなみに英語版はヴィスコンティに無断で更にカットされ、僅か140分だった。それを知ったヴィスコンティは“私の作品はコマーシャル・フィルムになってしまった”と激怒したという。今回上映されるのは、ヴィスコンティの死後、スーゾ・チェッキ・ダミーコらヴィスコンティ組のスタッフが散逸したカット・フィルムを集め、ヴィスコンティの意図した通りの構成に編集し直した237分の復元完全版だ。
いろいろな意味で“伝説的”なこの作品は今回の映画祭で一番人気だったらしく、この後、10月17日(日)の上映分は早い時期に売切れたという。そして今日の上映も電話で事務局に問い合わせたところ、「当日券は僅か」で、それを買うためには「最低でも、開場13時の1時間前には並ばなければならない」とのこと。こんな状態になっている作品は他にない。レギュラーのラジオ生出演の仕事があって、とてもではないけど12時から並ぶのは無理。諦めた。大好きな作品なのだけど、今回はもう観ることはできない。しばらく観られなかったわけでも、ソフト化されてなかったわけでもないのに……こんなに人気あったかなぁ、この作品。10月17日(日)のチケットを後買いで買い逃した時点で、今日のチケットをすぐに買っておけばよかった。後悔先に立たず、とはこのこと……(涙)。
2004 10 14 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
Oct 13, 2004
見て見ぬフリ
社内移動が決定し、10月中に絶対!に片付けなくてはならなくなった編集部。
10月半ばになったけど、全然やっていません。
散らかり放題。やりっぱなしし放題。ははっっ。
どんな状態になろうとも、見て見ぬフリを決め込んでいます(笑)。
部長の視線が痛いけど、スタッフ全員忙しいので、しょうがない。
期日までにはなんとか片付ける予定だけど、なにぶん、もうすぐTIFFなのでそれも怪しい・・・。
話は変わって、この間、試写に行ったとき、上映中に携帯をチラ見していた関係者が、それを目撃した評論家らしき人におもいっきり怒られていました。
「一般の劇場じゃないんだゾ!どういう神経しているんだ!」って、一般の劇場でも非常識だってば・・・。
でも最近、そういう非常識人が増えたと思います。
本人は気が付かないと思うんですけど、周りから見ると暗闇の中の液晶画面の光って目障りなんですよね、すっごく!そんなに携帯が気になるなら、映画を見るな!って思ってしまうんですけど、厳しいでしょうか?
原因はいろいろあると思いますけど、「こんなことをされたら他人がどう思うか?もし、自分だったら?」って考えれば非常識な行為はしないと思うのですが・・・。
ヴィスコンティ映画祭 10月12日(5日目)

初回、日曜日に『地獄に堕ちた勇者ども』と一緒に追加購入した『ベニスに死す』を観る。2回目の『夏の嵐』は編集部に戻っての作業があってどうしても無理。残念だけど、これで『夏の嵐』を観る機会は終わり。DVDで観た鮮やかな色彩、スクリーンで観たかったなぁ……。3回目の『疲れ切った魔女』と『異邦人』の2本立は別日を購入済。
『ベニスに死す』は、トーマス・マンの同名中篇小説に基づく映画化。原作では小説家だった初老の主人公グスタフ・フォン・アッシェンバッハは、「映画で表現するのは難しい」という理由から作曲家(ダーク・ボガード)に変更された。その結果、美を求める者の恍惚と苦悩、歓喜と絶望が、映像と音楽のこの上ない耽美的融合の中で描かれた傑作となった。美の象徴としてギリシア彫刻のような美少年、タッジオ(ビヨルン・アンドレセン)が配されたため、同性愛的な文脈に傾きすぎた解釈も多々あるが、それは危険。ヴィスコンティの本意はそこにはない。“努力と健全な精神によってのみ美は生まれる”と信じていた芸術家が、努力とも道徳とも無縁に“美”を身につけた少年を見る。その前に、芸術家が長年自分の支えにしきた芸術観は一瞬にして、脆くも崩れ去った。これはあくまでも、“芸術家と美”についての物語だ。もし仮に、タッジオのキャラクターが少女になってたらどうだろう? それでは“美の象徴としてギリシア彫刻”というニュアンスは出なかったろうし、それこそ違う意味が出てしまった危険性が高い。
この作品、「ヴィスコンティと言えばこれ」というぐらい、日本では批評家にも観客にも人気がある。そうした風潮がどうも解釈の妨げになるような気がしてしばらく意図的に避けていた。でもやはり、良い比較ではないけど「原作を超えた(数少ない)作品」という意味だけでも傑作。とにかく美しいし、完璧かもしれない。と、言いながら、ヴィスコンティ作品の中で実はそれ程好きな方ではないのだけど……。
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Oct 12, 2004
ヴィスコンティ映画祭 10月11日(4日目)

初回の『郵便配達二度ベルを鳴らす』、2回目の『アンナ・マニャーニ』と『白夜』の2本立を観る。
3回目の『地獄に堕ちた勇者ども』は別日のチケットを、昨日、追加購入したので今日はパスする。
ジェイムズ・ケインの同名小説が原案の『郵便配達二度ベルを鳴らす』。完全版としては初公開。舞台をアメリカからイタリアに変え、流れ者のジーノ(マッシモ・ジロッティ)と簡易食堂の女、ジョヴァンナ(クララ・カラマイ)の愛憎劇を描く。劇場公開版より約10分、DVD等のソフト版より約20分長く、その分、当時の検閲に睨まれた「イタリアの混乱」がより強く匂い立つ。ネオレアリズモを準備したと評価されるこの作品のオリジナルは、第2次世界大戦の混乱と検閲で今のところ失われたとされている。今回の版の修復は、戦後、複数箇所からバラバラの状態で発見されたフィルムをヴィスコンティができるだけオリジナルに忠実に修復したプリントに加えられている。そのためフィルムのダメージが大きく、修復はまだ続いているという。
『アンナ・マニャーニ』は、オムニバス映画『われら女性』の第5話。ちなみに、プロローグはアルフレード・グァリーニ、第2話はジャンニ・フランチョリーニ、第3話はロベルト・ロッセリーニ、第4話はルイジ・ザンパ。これはつい最近までソフト化もなく、初見。ヴィスコンティが『ベリッシマ』に続いで組んだマニャーニが楽しい作品だった。
『白夜』は、F.M.ドストエフスキーの同名短篇小説に基づく御伽噺。一昨年末のリバイバルで既に、撮影監督ジョゼッペ・ロトゥンノの監修による美しい修復版を観賞済。観れば観る程に、当時の「ネオリアリズモからの後退」という単純な批判が理解不能だ。単に作品の外面しか見なければそうなるかもしれないが、ヴィスコンティが外面だけを塗り固めた御伽噺を撮るわけがない。そういえば、音がこの前のプリントよりもクリアな気がした。修正されたのか? 気のせいか?
2004 10 12 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
ヴィスコンティ映画祭 10月10日(3日目)

初回は『夏の嵐』。原作はカミッロ・ボイドの「官能」。19世紀、墺伊戦争に揺れるヴェネツィアを舞台に、伯爵夫人リヴィア(アリダ・ヴァッリ)とオーストリア将校フランツ(ファーリー・グレンジャー)の激しい恋の顛末を描いた大作。
“メロドラマと歴史性の融合”という生涯のテーマが初めて見事に結実した、ヴィスコンティ初期の傑作だ。観たかったけど雑用に阻まれ断念。
2回目の『ある三面記事についてのメモ』と『熊座の淡き星影』の2本立、3回目の『ベリッシマ』を観た。 『ある三面記事についてのメモ』は実験的ニュース映画『月刊記録第2号』の一篇。日本初公開。最初は15分だったが、長篇劇映画と併映する都合上、8分に再編集。ところがそれを検閲が却下。後にプリントは何らかの意図で破棄されたと思われ、現在は5分の短縮版しか残っていない。
『熊座の淡き星影』はギリシア神話「エレクトラとオレステス」をモチーフにした名門家族の崩壊劇で、禁忌に塗り込められた後期ヴィスコンティ世界の始まりを告げた作品だ。この作品のオリジナル・ネガとマスター・ポジは未だに行方不明だという。今回のプリントも十分に綺麗だったが、輝くようなモノクロの映像が美しい作品だけに、何とかオリジナルとマスターが見つかって欲しい。
娘を映画界に入れようと奮闘する母親マッダレーナ(アンナ・マニャーニ)の姿を描いた『ベリッシマ』はスクリーン初。まず驚いたのは、“こんなにやかましかったか?”ということ。マニャーニだから当然かもしれないが、彼女だけではなく、彼女を囲むイタリアの(肝っ玉)母ちゃんたちまでもが相当やかましい。そのおかしさに、場内はヴィスコンティ作品らしからぬ笑いの洪水。『揺れる大地』でネオレアリズモの頂点を極めた後、早くもそこに問題提起をしたフシのある点が改めて注目される作品だが、まずはそういうことは忘れ、ヴィスコンティが念願かなって迎えたマニャーニの豪快な魅力を楽しみたい。
2004 10 12 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
Oct 10, 2004
ヴィスコンティ映画祭 10月9日(2日目)

超巨大台風が関東地方直撃コースを驀進中。初回はガブリエーレ・ダヌンツィオの同名小説の映画化、『イノセント』。19世紀末のローマ社交界を舞台に、デカダンな貴族トゥリオ(ジャンカルロ・ジャンニーニ)を通し、遺作とは思えない艶やかな官能美を見せた傑作。ボロボロのプリントで初めて名画座で観て以来大好きな作品。観たかったけどヤボ用があり観られない。2回目の『前金』と『栄光の日々』の2本立を観る。3回目の『若者のすべて』は、イタリア南部から北部ミラノに移住したことで崩壊していく家族の姿を、その兄弟の三男ロッコ(アラン・ドロン)を中心に描いた前期最後の作品。“ヴィスコンティが最も愛した”と言われる傑作だけど、チケットを買っていなかったことと、それより何より終映時間に台風で電車が止まっている可能性があったのでやめにした。何度か観ているしもう一回上映されるから、その時にスケジュールが空いていたら観ることにしよう。
ギイ・ド・モーパッサンの「ベッドの端で」を映画化した『前金』はオムニバス作品『ボッカチオ'70』の第3話。第1話はマリオ・モニチェッリ(初公開時、総上映時間225分が長すぎると判断され、俳優の知名度が低いこの挿話はカット)、第2話はフェデリコ・フェリーニ、第4話はビットリオ・デ・シーカ。恐らくヴィスコンティ・イメージとは合わない艶笑譚だが、場内では笑いが起きた。スクリーン初だけど、思っていた以上に舞台劇っぽさが残る小品。ただし、前期ヴィスコンティの終わりを告げた『若者のすべて』の直後のこの作品は、やはりテーマ面で後期ヴィスコンティを予告している。日本初公開の『栄光の日々』は、1943年9月~1945年春のイタリアの終戦へ向けての戦いを追ったドキュメンタリー。今まで、文献とドキュメンタリーで一部しか確認できなかった貴重な映像をやっと観ることができた。イタリアでも初公開後に行方不明になり、1970年に発見、復元されたという。
2004 10 10 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
Oct 08, 2004
ヴィスコンティ映画祭 10月8日(初日)

《ヴィスコンティ映画祭》開幕。『疲れ切った魔女』(『華やかな魔女たち』から)を除く全作品が、チネテーカ・ナツィオナーレが15年間掛けて復元した貴重な修復プリントで上映される。資料に「ヴィスコンティの全貌をスクリーンで体験できる最初で最後の機会になるでしょう」と書いてあるけど、大袈裟ではなく、本当にそうなるかもしれない。“修復プリントで”とつけ加えればその信憑性は更に高くなるはず。“とにかくできるだけたくさん観ておきたい”。そう思い、チケットを買っていない作品も観るために数日前からスケジュール調整を始めるが、これがなかなか上手くいかない。
記念すべき最初の上映は『揺れる大地』、そしてその後、開会式を挟んで『山猫』が上映された。『山猫』は、19世紀末のイタリア統一戦争時代のシチリアを舞台に、老公爵サリーナ(バート・ランカスター)を通して滅び逝く貴族階級の最後の輝きを描いた絢爛豪華な超大作。原作はシチリア貴族、ジュゼッペ・トーマジ・ディ・ランペドーサの同名小説。ヴィスコンティは否定しているが、唯一その心情が語られた作品で、生涯の代表作ともなった中期の傑作だ。イタリアが国家予算で修復したその映像は、カットされた英語版(161分)プリントだけが皮肉にも維持することになった鮮やかな色彩を見事に取り戻していた。
『揺れる大地』はシチリア漁民の苛酷な現実を古代の叙事詩的風格すら漂う映像で描いた作品。全出演者を地元の人々からキャスティングしたことも含め、“ネオレアリズモの頂点”と位置付けられている。
『山猫』が、この秋のリバイバル公開用のプレス編集のために立て続けに2回程観た後だったということもあり、今日は編集部での仕事に専念することにした。『揺れる大地』はしばらくスクリーンで観ていないし、『山猫』とはヴィスコンティ作品を考える上で重要な“シチリアつながり”の関係にある作品なのでちょっと迷ったけど、諦めた。
2004 10 08 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
Oct 05, 2004
『インファナル・アフェア 無問序曲』ジャパンプレミア試写会キャスト舞台挨拶

(左から)アンソニー・ウォン、ショーン・ユー、
加藤ローサ、エディソン・チャン
9月8日/ヤクルトホール
「香港版の方が面白いと思うよ」(by エディソン・チャン)
ハリウッドでのリメイクも決まった『インファナル・アフェア』三部作の第2章『インファナル・アフェア 無問序曲』(公開中~シネマスクエアとうきゅうほか全国〈地方は順次〉)。その出演者、エディソン・チャン、ショーン・ユー、アンソニー・ウォンが来日し、ジャパンプレミアで舞台挨拶を行った。
たくさんの女性客で埋め尽くされた客席を前に、「この作品に参加できて嬉しく思っています。日本でも成功するように祈っています」(ショーン)「食べ物が美味しくて、美しい女性がたくさんいて、ファッションのセンスも素晴らしい日本が大好きです。この作品は最初から最後まで見所がたくさんありますので、皆さんが気に入ってくれると嬉しいです」(アンソニー)「第1章も第3章(2005年G.W.~日本公開予定)も面白いですが、僕はこの第2章が一番面白いと思います」(エディソン)と、それぞれ作品について語った。
ハリウッドでリメイクされることについては、「リメイク権を買ってくれたということは、この作品を気に入ってくれたということだと思う。アメリカに行く機会があったらぜひ行きたいですね」と言うショーン。一方、エディソンは、「香港版の方が面白いと思うよ」だそう。ともあれ、当分『インファナル・アフェア』シリーズから目が離せそうにない!
2004 10 05 [記者会見レポート] | 固定リンク | コメント (1) | トラックバック
『アイ、ロボット』キャスト来日記者会見
ウィル・スミスと応援に駆けつけたヒューマノイド・ロボット“PINO”君
9月7日/パークハイアット東京
「アイ・ラブ・トロ!」(by ウィル・スミス)
SF界小説の巨匠アイザック・アシモフの「われはロボット」にインスパイアされて誕生した『アイ,ロボット』(公開中~日劇1ほか全国東宝洋画系)。そのPRのために主演と製作総指揮を兼任したウィル・スミスが来日し、記者会見を行った。
「笑いあり、ドラマあり、知的なストーリーありで、子供から大人まで楽しめる作品だよ」と挨拶したスミス。今回、製作総指揮も兼任したきっかけについて、「20世紀フォックスから脚本が送られてきたんだけど100%ではないと思ったから、友人のアキヴァ・ゴールズマンに修正に参加してもらったんだ。それで、フォックスといろいろ話を進めていく段階で製作総指揮も担当することになったんだ」と話した。劇中ではロボットの存在を疑うスプーナー刑事を演じたが“実際はどうなの?”と質問すると、「科学技術類は大好き。ロボットやコンピューターなどは常に最先端の物を手に入れたいね。ロボットが人間の生活に入り込むのは大歓迎さ! この作品のロボットはプログラムに従っただけ。人間側の論理に問題があったんだ」だそう。
「浜辺を一緒に散歩できるから」という理由で「女性版ロボットが希望」だと言うスミス。「でも本当に欲しいのはゴルフで的確なアドバイスをしてくれるロボット。“そのクラブは使わないで下さい。そのクラブ使うほどあなたは上手くないですよ”ってね(笑)」。更に、ラッパーの顔を持つスミスに、“冒頭ではスティーヴィー・ワンダーの曲が流れるけど、2035年にはアナタの曲は残っていると思う?”という質問が出ると、「2004年の今でも残っていないんだよ(笑)。“1、2曲ぐらい残って欲しいなぁ~”と思うけどね」とちょっと消極的。“ラッパーのスミス”の影は薄い(!?)かもしれないけど、“俳優のスミス”なら2035年になっても存在感溢れる役者さ、きっと!!
2004 10 05 [記者会見レポート] | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
Oct 01, 2004
リニューアルにあたって
約1ヶ月間かけて着々と準備をしてきたリニューアルが無事に終了。この一週間は締め切りとの闘いで、かなりプレッシャーがあったが、なんとか間に合ったのでホッとしている。とはいえ、きちんとした形でこの日を迎えられたのも、管理人&アドバイザーのH氏のお陰。この場をお借りして、お礼申し上げます!本当にありがとうHさん!今日まですべてが楽しく、順調に進んでいた訳ではなく、いろいろ大変だったけど何とか1年間続けてこられたのも粘り強く見守ってくれたHさんのお力があってこそ(期待してくれる読者の支えはもちろん一番です!)。これからも一緒に頑張っていきまSHOW!
さて、今月は映画祭特集。東京映画祭ももちろんですが、やっぱりパウゼといえばヴィスコンティ映画祭!
以前から編集長をご存知の方は理由はお判りのハズ。そう、ヴィスコンティは編集長の<青春&人生>そのものなのです(勝手に担当Kが思っているだけだけど・・・)。大学の卒論をヴィスコンティについて書いた編集長は、基本的にはスピルバーグやリドリー・スコットらハリウッド系がお好きなんですけど、その<好き>とヴィスコンティに対する<好き>はやっぱり違うようで、ヴィスコンティのことを話すときの目の輝きが違いマス。きっと映画祭会場では、喜びに満ちた編集長に遭遇するハズ。
現代のハリウッド系や軽めの作品がお好きな方たちには、ヴィスコンティ作品はちょっとなじみにくいと思いますけど(担当Kも苦手です)、人生の勉強だと思って、1本は見たほうがいいですね。例えるなら<良薬は口に苦し>。口当たりは良くないですけど、体にはいいですよ、本当に。
『山猫』を軟派に勧めると、まず、ランカスターとアラン・ドロンが吹き替えという点に注目。“美”に拘るヴィスコンティ(なんてったって貴族ですから!)は国籍を問わずビジュアルに拘り、アメリカ人のランカスター、フランス人のアラン・ドロンをキャスティング。そのためイタリア語版は吹き替え(もちろんインターナショナル版も吹き替え)。狙いどおり、ため息出るほど美しいけど、撮影はどんな感じだったのかな、と想像すると違った見方ができます。だって、クラウディア・カルディナーレはイタリア語を話すんですよ!アランとクラウディナのシーンは艶っぽくて気絶しそうなくらいなのに、実際の撮影ではどんなコミュニケーションとっていたのだろうと思うと、クラシックな作品もぐっと観客寄りに考えられ、見やすくなるはずです。
それに、アラン・ドロン。美しい・・・。個人的にランカスターの方がシビれますけど(笑)、やっぱり映画史に残るくらい美形だったアラン・ドロンはスクリーンで見ておくべき。見たことないなんて、人生損です。
ともあれ、秋はやっぱり<芸術の秋>。たくさんの映画に触れたいですね。皆さんのお役に立てるようにパウゼはこれからも頑張っていきますので、応援の程、宜しくお願いします!!
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“今そこにある風景”で創られた未来に漂う“妙な緊張感”

ギャガ試写室(黒)で『CODE 46』(2003、マイケル・ウィンターボトム)。『めぐり逢う大地』(2000)『24アワー・パーティ・ピープル』(2002)『イン・ディス・ワールド』(2002)と異なるジャンルでの映画創りを続けるウィンターボトムだが、この新作も初挑戦となるSF作品となった。
極度の環境破壊が進んだ近未来。政府は、汚染のない都市部に密集した人口を様々な条項で徹底管理することによって、人類生存を確保していた。汚染された外界との往来には“パペル(パスポートとビザの機能を併載した滞在許可証)”が必要だが、審査の厳しさから発行許可の下りない人も多く偽造が絶えない。そうした中、上海で連続偽造事件が発生。妻子とシアトルに住む捜査員ウィリアム・ゲルド(ティム・ロビンス)は調査のため、上海のパペル審査・発行機関“スフィンクス社”へ向かう。その結果、社員のマリア・ゴンザレス(サマンサ・モートン)が犯人だとすぐに判る。ところが、2人は不思議な程に魅かれ合い、恋におち、肉体関係を持ってしまう。それが重大な“CODE 46(同一核遺伝子を持つ者を血縁と見なし、生殖を禁止した条項)”違反になるとも知らず。やがてその法規違反を察知した国家機関は2人を追い詰め、引き離すのだが……。
ここには無粋な程に映像を埋め尽くす最新VFXもサウンドステージを埋め尽くす巨体セットもない。ロケ地はシアトル、上海、ドバイ。あくまでも、“今そこにある風景”、あり物の組み合わせで近未来社会の世界観を構築している。にもかかわらず、作品全体に“妙な緊張感”が漂っているのは、ウィンターボトムが現在の風景から掬い上げた近未来社会の世界観の本質が現在のそれとかなりの確立で重なってくるからだろう。そこにこの作品の面白さがあった。それにしても、作品を包む透明感は何だろう。思い出すのは、やはり“今そこにある風景”で創られた傑作近未来SF『夢の涯てまでも』(1991、ヴィム・ヴェンダース)を包んだ透明感。両作品共に、禁じられた行為に端を発するラブ・ストーリーだが、それだけが要因ではないだろう。ヨーロッパの作家に特有の感覚だろうか……。
最後にちょっと気になったこと。モートンは、この作品の対局の作品群とのちょうど中間に位置する傑作『マイノリティ・リポート』(2002、スティーブン・スピルバーグ)で、予知能力を持つプリコグを演じて強い印象を残した。今回も彼女のキャラクターは不思議な、予知夢のような夢を見たりするのだが、そうしたシーンになってショートヘアの彼女の顔がアップになると、どうしても『マイノリティ・リポート』のプリコグへとイメージが繋がっていってしまう。これには困ってしまった……。
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タイトルの“MONSTER”が本当に指すものは……

ギャガ試写室(黒)で『モンスター』(2003、パティ・ジェンキンス)。ほぼ1年間で男性6人以上を殺害。全米初の女性連続殺人犯として死刑宣告を受け、12年間の服役の後、2002年に刑に処された“モンスター”ことアイリーン・ウォーノスの物語。主演は初めてプロデューサーも兼ねたシャーリーズ・セロン。体重を13kg超増量、眉毛を抜き、義歯を嵌めるという『レイジング・ブル』(1980、マーティン・スコセッシ)のロバート・デ・ニーロに匹敵する凄まじい肉体改造演技に挑戦。“ハリウッド・ビューティー”の呼び名をかなぐり捨てた容姿で渾身の演技を見せ、見事、第76回(2003年)アカデミー賞最優秀主演女優賞に輝いた。
1956年、ミシガン州。不幸な環境に生まれ、“いつかきっと、誰かが救い出してくれる”と信じて育った平凡な少女、アイリーン。だが、DVが日常化した苛酷な日々を過ごし、いつしか日銭稼ぎの娼婦に身をやつす。1986年、フロリダ州、ある土砂降りの日。虐待と侮蔑だけの人生に決別しようと自殺を考えるアイリーン。“有り金$5でビールでも呑んで死のう”とバーに入る。出逢ったのは少女セルビー(クリスティーナ・リッチ)。親に強制された同性愛嗜好の治療でオハイオ州からやって来た、アイリーンと同様、社会に拒絶された疎外感を生きる孤独な少女。たちまち惹かれ合う2人。“蔑まず、愛してくれる人に初めて逢えた”と感じたアイリーンは、“セルビーを養って、違う土地でやり直したい”と願う。だが出発を前に、資金稼ぎに取った客に半殺しにされ、とっさの反撃で逆に殺してしまう。“正当防衛”。2人は互いにそう納得させ旅に出る。落ち着いた先で、娼婦から足を洗おうと思ったアイリーンは、堅気の仕事を探す。だが、資格も職歴もない前科者に世間は冷たい。それでも“セルビーと一緒にいたい”という強い想いから、アイリーンは仕方なく再び道端に立つが……。
とにかく、題材に対して誠実に、冷静であろうとした作品だと思う。例えばこうした作品では、生い立ちや環境まで掘り下げることで主人公が凶行に至った過程を探ろうとする作品が多い。それはそれで1つの方法だが、結論の大方は主人公に寄るか突き放すかになりがち。それは時として、真実を直視する機会を奪う。この作品はそうした手法を避け、一定の距離を保ちながら、アイリーンが犯行を重ねる様子だけをリアルタイムで綴る。“愛を知った”がための凶行。これは、愛を求めた女性が冷たく運命に見捨てられた姿を描いたラブ・ストーリーだ。とはいえ自業自得。そこに同情の余地はない。だが、30歳過ぎにして早くも崩れ始めた痛々しい身体で、精一杯、ようやくつかんだ愛を離さないために犯行を重ねるアイリーンは哀しかった。そこからは、愛に見放された人間の根本的な哀しみが、アイリーンのような弱者が立ち直る機会を与えすらしない社会の醜い姿までもが浮かび上がる。それこそが、タイトルの“MONSTER”が本当に指すものかもしれない。
演出がとにかくストレートなこうした作品の成否は主演俳優の力量に掛かる。そしてこの作品で、ファーストオファーを受けたセロンは見事に大役を果たした。これは言うまでもなくセロンの作品だ。セロンは嫌みではなく巧かったし、アカデミー賞好みの演技でもある。だが実は、作品の成否を握ったもう1人のキャラクター、セルビーを演じたリッチの巧さにこそ感心させられた。弱々しさの奥に隠した凶暴性。アイリーンの運命を狂わせるこのキャラクターが弱くても、やはりこの作品の成功はない。完全にタイトルロールのセロンの影になってしまったが、リッチもアカデミー賞で最優秀助演女優賞にノミネートされるぐらい評価されるべきだった。
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“原点にして頂点”。“キング”エルヴィスは今も輝く!!

「エルヴィス大好き」な母と一緒に東劇で『エルヴィス・オン・ステージ スペシャル・エディション』(1970、デニス・サンダース)。オリジナル版公開時、子育てに忙殺されて観に行くことのできなかった母を、ここ数カ月いろいろと世話を掛けたこともあり、ささやかながら感謝の気持ちでご招待。映画を観て、ご飯を食べて、久しぶりに2人でお喋り。ちなみに、最近はなかなか利用できないので頭から全く抜けていたけど、この日は“映画ファン サービス・デー”。ということで、料金は1人1,000円。ちょっと嬉しかった。数年前から「毎日が“サービス・デー”」の母は「あらっ!?」って感じで反応鈍かったけど(笑)。
今から考えれば、あまりにも安直な発想による大量の映画出演からマンネリズムに陥り、本来の力を発揮できずにいた“キング・オブ・ロックンロール”エルヴィス・プレスリー(1935~1977)。そんな彼は、1970年、ラスベガス、インターナショナル・ホテルの“ビッグ・エルヴィス・サマー・フェスティバル”のステージに立ち、完全復活を遂げた。パワフルでエモーショナルなパフォーマンスは、まさに完璧なるエンターテインメント。その模様を撮影したフィルムからベスト・パフォーマンスを厳選、バックステージの素顔まで取り込んで編集したのがこの作品、『エルビス・オン・ステージ』(初公開時表記)だ。キングの来日公演など「夢のまた夢の夢……∞」だった時代。劇場(旧・丸の内ピカデリー)には熱狂的エルヴィス ファンから音楽ファン、映画ファン、とにかく大勢の観客が押し寄せ大ロングラン、大ヒットとなった(後番組『ある愛の詩』の公開スケジュールの都合上終わらざるを得なかったが、その時点で観客動員は衰えていなかったという。そのため、やはり大ヒットとなった『ある愛の詩』終了後に凱旋公開された!)。1人のミュージシャンのドキュメントである。今ではそんな状態は考えられないし、それだけのスケールのミュージシャンはきっといまい。この『~スペシャル・エディション』は、オリジナル版を未公開フィルムと共に再編集、音響を5.1chドルビー・デジタルにリマスター。エルヴィスの魅力をより鮮やかに伝える作品となった。
心に響く歌声、身体をフルに使ったパフォーマンスのカッコ良さを今更言うまい。今回改めて感心したのは、エルヴィスの天才を確認できるバックステージの風景。例えば、名曲「明日に架ける橋」といった他のアーティストの代表曲を、練習中にアッと言う間にアレンジして自分の曲にしてしまうセンスと才能。自分が納得するだけではなく、コーラスやバンドのメンバーにも簡潔で適切な指示を出す。そんな姿に、「今更」と言われてしまうかもしれないが、華やかなだけではないエルヴィスの音楽的才能を再認識した。ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、キース・リチャーズ、ブライアン・フェリー、ポール・サイモン、エリック・クラプトン、ジョン・ボン・ジョヴィ、ボノ……多くのミュージシャンたちに衝撃と影響を与えた“キング・オブ・ロックンロール”。“原点にして頂点”。“エルヴィス”は、今も輝き続ける。合衆国大統領も喪に服した衝撃の死から27年。生きていればまだ69歳。きっとまだ歌っていたことだろう。観終わった後、もう何度も聴いている同名アルバムを無性に聴きたくなった。
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アルジェントは今、試行錯誤している

遂に劇場未公開に終わってしまった巨匠ダリオ・アルジェントの新作『デス・サイト』(2003)と、同時収録されたそのメイキング“THE CARD PLAYER:THE NEW FILM BY DA-RIO ARGENTO”(2003、Alessandro Ingargiola)をDVDで。
イタリア、ローマ。刑事アンナ・マリ(ステファニア・ロッカ)の署のデスクのパソコンに送られて来た一通の“E-mail”。不審に思いながら開くとポーカーのオンラインサイトにつながり、画面には縛られてもがき苦しむ女性の姿が映し出された。送り主は「勝てば、解放する。負ければ、殺す。放棄は、負けとみなす」と言い、アンナにゲームへの参加を要求する。アンナと同僚は、猟奇的犯行を仄めかす送り主の居所を突き止めるためゲームへの参加を主張するが、署長は「挑発に乗るな」と却下。画面を見ていることしかできない彼らの前で、送り主は警告通り女性を惨殺する。そしてその日から、犯人のゲームによる犠牲者は続いた。アンナは、イギリスから大使館付として赴任している捜査官ジョン・ブレナン(リーアム・カニンガム)と共に捜査にあたり、ゲームセンターのポーカーゲームに天才的能力を見せる青年レモ(シルビオ・ムッチーノ)も味方につけ、犯人を追う。そうした中、市長の娘が囚われの身となったゲームで、アンナたちは遂に勝利する。娘も無事に戻り、事件は解決したかのように思えたが……。
ストーリーテリングの弱さをカバーして余りある、〈映像と音響の刺激的かつ美しい融合〉。それがD・アルジェントの才能だ。だが、そうした才能は老いと共にどうしても衰えていく。感覚から冴えがなくなり、映像と音響を絶妙のバランスで融合させるサジ加減が鈍っていくからだ。アルジェントは致命的な駄作『オペラ座の怪人』(1988)の後、『サスペリアPART2』(1975)に代表される1970年代のテイストへの回帰を目指して『スリープレス』(2001)を創る。だがそこには、かつてのような〈映像とサウンドの刺激的かつ美しい融合〉はなく、ストーリーテリングの弱さはカバーされることなく剥き出しになった。1970年代のテイストに戻ることは、恐らくもう不可能だろう。
そしてこの『デス・サイト』。アルジェントは1970年代への回帰ではなく、新しい形を探している。殺人ネット中継という題材の時代性に終わらない、パソコンと現実の“感覚の違い”に着目した構成が面白い。無機質なパソコンの画面で繰り広げられる惨殺の痛みのなさと、現場に着いた途端にスクリーンに溢れ出す惨殺の痛みの対比。“感覚的”な映画創りをしてきたアルジェントは、今回、それを物語の構成に持ち込もうとしたようだ。犯人のキャラクター設定の弱さ、近年最も成功した『スタンダール・シンドローム』(1996)の続篇からの変更企画というマイナスもあってその試みは成功したとは言い難いが、興味深く観られたことは間違いない。少なくとも『スリープレス』よりは面白かったと思うし、まずは劇場で観たかった。アルジェントは今、試行錯誤している。
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楽しませてくれるエンターテインメントだが……

ヴァージンシネマズ六本木ヒルズ(Screen7)で『アイ,ロボット』(2004、アレックス・プロヤス)完成披露試写会。
2035年、シカゴ。人類とロボットは、“1.ロボットは、人間に危害を加えてはならない”“2.ロボットは、人間から与えられた命令に服従しなければならない”“3.ロボットは、前掲第1条及び第2条に反する恐れのない限り、自己を守らなければならない。”という共存の礎、“ロボット三原則”の下、平和に共存していた。野心家ローレンス・ロバートソン(ブルース・グリーンウッド)率いる超巨大企業“U.S.ロボティックス社(USR)”によって築かれた、ロボットが人間の補佐役として働く超ハイテク社会。新世代機、“家庭用NS-5型”の導入も決まり、そんな調和がいつまでも続くかと思われたある日。ロボット開発責任者で優秀な科学者、アルフレッド・ラニング博士(ジェームズ・クロムウェル)が突然、不審な死を遂げた。捜査担当のデル・スプーナー刑事(ウィル・スミス)は、例外的な“知能と感情”を見せ自ら“サニー”(モデル:アラン・テュディック)と名乗る一体のロボットに疑いを持ち、ロボット心理学のスーザン・カルヴィン博士(ブリジット・モイナハン)と共に捜査を開始。するとラニング博士の死の陰には、人類の生存を脅かす陰謀と事実が隠されていた……。
SF小説の大家アイザック・アシモフ(1920~1992)の短篇「われはロボット」にインスパイアされたSF超大作。その個性的なヴィジュアル・センスで評価されるA・プロヤスは、スピーディーな展開の物語と、考え得る範疇でのリアルな表現を見せるロボットたちを始めとする最新VFXを上手く融合させ、まずは観ている間は十分に楽しませてくれるエンターテインメント作品を仕上げた。製作総指揮も兼ねたW・スミスのキレのある演技も良い。 ただ、観終わった後で気になってくることがあった。それは作品のヴィジュアル・イメージ。プロヤスは、例えば『ダークシティ』(1997)といった作品の独特のヴィジュアル・イメージでその才能を見せてきたが、今回はどうもそこに弱さを感じてしまったのだ。〈ビョークのPVの盗作疑惑〉のことではない。ここでのそのイメージは限りなくゴッタ煮風なのだ。例えば、『A.I.』(2001、スティーブン・スピルバーグ)『マイノリティ・リポート』(2002、スティーブン・スピルバーグ)『スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』(2002、ジョージ・ルーカス)etc.……そういえば、発想としてはコンピュータが人間の生殖に介入してくるSF『デモン・シード』(1977、ドナルド・キャメル)なんていうのもちょっと思い出したりして……。別に引用自体は悪いことではない。あのジャン=リュック・ゴタールだって引用はする。問題はその方法なのだと思う。ここでのプロヤスの引用は、その先に何かが見えてこない。詰め込みすぎで消化不良を起こしているかのようだ。
反面、手動運転に切り替えたスプーナーのアウディとUSRの大型トラックのチェイス・シーン等、日本のアニメのイメージを巧みに実写化したような映像はVFXとの相性も抜群で、面白くできていた。そう考えるとこの作品は、どこかでバランスを欠いてしまったのかもしれない。楽しめた作品だけにそこが残念だった。
2004 10 01 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
ベルトルッチの過ぎ去りし日の夢なのだろうか……

ガスホールの一般試写会で『ドリーマーズ』(2003、ベルナルド・ベルトルッチ)。好きな監督の作品なのに、不覚にもマスコミ試写で観逃してしまった。反省……。
1968年フランス。大統領シャルル・ド・ゴールの政権に対して、学生たちが、映画人たち(ジャン=リュック・ゴダールやフランソワ・トリュフォーら大勢)も燃え上がった5月革命前夜のパリ。“パリのアメリカ人”、留学生のマシュー(マイケル・ピット)は、通い詰めていたアンリ・ラングロワ主宰(政府に事務局長職を解任され、それは革命の起爆剤の1つになった)のシネマテーク・フランセーズ(ヌーヴェル・ヴァーグはここから生まれた!)で、フランス人の美しい双子、姉イザベル(エヴァ・グリーン)と弟テオ(ルイ・ガレル)に出会う。ある日、姉弟は両親が旅行に出掛けて留守になった迷宮のようなアパルトマンにマシューを招き入れる。やがてシネフィルの3人が始めた、名作のシーンを再現する“映画ゲーム”。それは彼らを現実から隔離し、奔放な性の時間へと誘っていくのだった……。
『69 sixty nine』(2004、李 相日/リ・サンイル)の若者たちがモテたいだけで、弾けたいだけで学校を“バリ封”して大騒ぎした前年。フランスの若者たち、マシュー、イザベル、テオは、映画によって革命という現実から逃避して行った。そして、踏み込んだ性の迷宮でぶつかったのは、映画を生きることもできず、現実を生きることも苦しいという行き止まり、人生の選択の時だ。“映画という密室の夢”と“革命という路上の現実”という対極が向き合う。
ベルトルッチは近作『シャンドライの恋』(1998)で完全なる復調どころか驚くべき若さ、瑞々しさを見せたが、ここにはそれ程の感覚はない。むしろ、若い肉体を捉えた映像に時折漂う“覗き見的感覚”やオマージュの表現となった“映画ゲーム”に、妙なノスタルジーというか、“老い"のようなものすら感じてしまった。だがそれでも、“映画という密室の夢”から覚めて“革命という路上の現実”に向かって行く“若者の通過儀礼”を、ベルトルッチは決してノスタルジーに溺れることなく、美しい映像の中で丁寧に綴った。「ある時代の遺産についてちゃんと語っておきたかった」という狙いもきちんとクリアしていると思う。『69 sixty nine』がファンタジーを選んだのとは違い、ラストでアパルトマンの窓を開け放った途端に流れ込んで来る“生々しい現実”がここにはあるのだから。
“イタリア人監督の……”というよりは“フランス映画的な匂い"のするこの作品は、ヌーヴェル・ヴァーグに魅せられた、当時27歳だったベルトルッチの過ぎ去りし日の夢なのだろうか……。
2004 10 01 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック
“スパイキッズ”の方へと“飛んで行って”しまった……
『サンダーバード』(UIP)
8月7日~日劇3ほか全国東宝洋画系
日劇2の『サンダーバード』(2004、ジョナサン・フレイクス)完成披露試写会へ。終映予定は23時過ぎ。足が重い。
1965年にイギリスで放映開始、現在に至るまで、特に母国と日本で熱狂的人気を誇るマリオネットSF・TVシリーズがオリジナル。近未来を舞台に、トレイシー一家が南洋の孤島の秘密基地を拠点に組織した“サンダーバード(国際救助隊)”の活躍を描いたSFアトベンチャーだ。サンダーバードに恨みを持つ謎の男“ザ・フッド”(ベン・キングスレー)の策略で宇宙にクギづけ(制御不能に陥った巨大通信衛星“サンダーバード5号”の内部)になった大人たちに代わり、トレイシー家の五男でまだ隊員になっていないアラン(ブラディ・コルベット)を含む3人の子供たちがザ・フッドの野望を打ち砕く……。というのが今回の映画化で用意されたオリジナル・ストーリー。
オープニング、父親ジェフ(ビル・パクストン)に率いられたサンダーバードが火災を起こした海底油田基地で救助活動を行うシークエンスは、視覚効果の基本をCGとして、2カ所(もう1カ所は終盤のモノレール)しか使われなかったミニチュアが効果的でなかなかスリリング。だが、そのテンションは長くは続かなかった。“登場人物が誰一人死なない”ということを始め、コミカル・アクション『スパイキッズ』シリーズ(2001、2002、2003、ロバート・ロドリゲス)の方へと“飛んで行って”しまうのだ。決して『スパイキッズ』が悪いということではない。“秘密兵器を駆使して子供が悪い大人をやっつけるという物語”や“リアルではない秘密兵器”等からは、どうしても『スパイキッズ』シリーズの二番煎じのニオイがしてしま