PauseBLOG 記者会見・コラム

« 長い間ありがとうございました。 | トップページ | 閉館イベント“さよならコマ東宝”開催。 »

Dec 18, 2008

こんな優しさがあれば、どんな時でも生きて行ける。

Nikki_1

寒い日が続きます。皆さん、風邪などひいてはいませんか? 何かと気忙しい時期ではありますが、クリスマスやお正月はやっぱり楽しみです。古くからの友人や親族に会って、旧知の仲を温める機会があるかもしれませんね。今回ご紹介するのは、そんな機会の前にぜひお薦めしたい作品『ラースと、その彼女』。さりげないけれど、本当に温かい人間関係に“ぽっ”と光を当てた素敵なお話です。

Nikki_lars1 『ラースと、その彼女』 “LARS AND THE REAL GIRL”
12月20日~シネクイントほか全国(地方は順次)

http://lars-movie.com/

Nikki_lars2 冬は雪に覆われる、小さなコミュニティ。ラース・リンドストロム(ライアン・ゴズリング)は、シャイだけど純粋で心優しい青年。幼い頃から暮らす小さな街の人々は、そんな彼のことを好ましい青年だと思っています。けれども家族は、年頃になっても恋人ができる気配もなく、独り実家の離れに暮らすラースの将来を案じていました。ある日、衝撃の事件が起きます。ラースに恋人が出来たのです。しかも驚くなかれ、恋人というのは、彼が自分好みにオーダーした等身大のリアルドール“ビアンカ”だったのです。どう見ても、本気で人形のビアンカを大切そうに愛おしみ、みんなに堂々と紹介するラース。もしも彼に対してごく当たり前の接し方をするなら、“頭がおかしくなった”と考えて治療に専念させるということだったかもしれません。でも、彼の家族と街の人々は違いました。最初こそラースの行動に“うっ” ときたり“ぎょっ”とする反応を見せますが、やがて受け入れ、包み込み、哀れむのではなくむしろ一緒に楽しみながら、共に時を過ごしていくのでした。
ちょっと変な人。はっきり言って怪しい人。でも、胸に手を当ててよく考えてみれば誰にでも、思いあたる危うい部分がある。異常な人だと境界線を引くのは少し待ってみないか。彼の問題が解決するまで見守ろうよ――そういう優しさが、この作品にはありました。自分の傍らにこんな人間関係があれば、人生のどんな局面でも、何とか生きて行けるんじゃないかな、と思いました。ラースの心の奥を垣間見て、取り巻く人たちの思いやりに触れて、気づくと私は上映中、ぽろぽろと涙をこぼしていました。それは、気持ちを柔らかくしてくれる、温かい涙だったように思います。

では、また次回です。

                                               18/12/2008 中澤 有美子

Nikki_nakazawa
セントフォースHP http://www.centforce.com/
中澤有美子ブログ http://ameblo.jp/nakazawa-yumiko/
「安住紳一郎の日曜天国」HP http://www.tbs.co.jp/radio/nichiten/

2008 12 18 [試写室日記] | 固定リンク

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/51417/43453612

この記事へのトラックバック一覧です: こんな優しさがあれば、どんな時でも生きて行ける。:

コメント

cordn-jさん、明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
『ラースと、その彼女』、メイン館のシネクイントではかなり入っているようで、始まって1ヶ月程経つのにイベントが決まりました。川崎の映画館では入りはどうでしたか?
敢えて読点を入れた邦題、どんな意味があるんでしょうね。言われてみれば気になります。機会があったら宣伝部に聞いてみます。
『ラースと、その彼女』、未見の方はぜひご覧下さい。渋谷のシネクイントではこんなトークイベントもありますよ!
〈イベント概要〉
(1)1月24日(土) 19:30上映終了後
ゲスト:せきしろ(文筆家「去年ルノアールで」)
    いしわたり淳治(チャットモンチー音楽プロデューサー)
(2)1月30日(金) 19:30上映終了後
ゲスト:夏目ナナ(女優)
(3)1月31日(土)19:30上映終了後
ゲスト:辛酸なめ子(漫画家、コラムニスト)
    デハラユキノリ(フィギュアクリエイター)
場所:渋谷シネクイント
   (渋谷区宇田川町14-5渋谷パルコパート3 8F)
※全てのトークイベントに、主演女優のビアンカが参加します。

投稿者: 編集部 (Jan 15, 2009 11:01:58 AM)

 (成人の日も過ぎ時宜を逸していますが)明けましておめでとうございます。
 本作品は昨年末20日に川崎で観ました。原題は“LARS AND THE REAL GIRL”ですが、わざわざ REALとしたのはリアルでないことの裏返しですね。邦題にわざわざ読点を入れたのは、何かの意味を込めたかったのでしょうか。細かいことですが気になります。
 本作品は、風変わりで孤独を好むラースと、ラースの家族や近隣の人々との心の交流を描いた映画でした。ラースがリアルドールの人形に恋するという設定は奇妙ですが、巧みな脚本が本作品にリアリティーを与えていました。
 ラースの生い立ちには、母親の死,父親の孤独,兄の離別といった一連の不幸が重なり、その起因をラースは自分の誕生に求めたのではないでしょうか。幼いラースが悲しみの重圧から自分(の心)を守ろうとするうちに、ラースは次第に繭のように衣服を重ね着し、ラースの身体と内心が同化していったのだと想像しました。人(女性?)に素肌を触られることは、その覆い隠した内心を鷲掴みされるのと同じなのでしょう。
 ラースが恋人にしたリアルドールは、いつもラースが問い掛けていた内心が分離し、具現化したことの比喩であったかもしれません。だから、ラースはビアンカに向き合えたのだと思います。
 ラースが大切に守ってきた内心がビアンカとして周囲の人々に見えるようになると、人々は戸惑いながらも初めてビアンカに優しさを示すようになります。まるで、姿の見えない不幸や悲しみに無理解な現代社会を痛烈に皮肉っているかのようです。私達は見えないものに対する畏敬や尊崇を喪失したのでしょうか。
 本作品で素直に共感できなかったのは、リアルドールを救急車で搬送する場面と、職場の同僚マーゴの恋にラースが嫉妬する場面です。もう少し説得力のあるプロットが必要でした。
 ラースはビアンカとの葛藤を経て、周囲の人々の優しさを受け入れていきます。それは同時に、ラースの心に生き続けた母親の死を真に受け入れることだったように思いました。母親はきっとラース言ったはずです。「もう安心して周囲の人々に身を委ねなさい」と。
 ラースがビアンカに別れを告げた水辺は、死別した母親の羊水のようでもありました。最初はリアルドールそのものだったビアンカが、穏やかな表情をした若き日の母親のようにも感じられた瞬間でした。

投稿者: cordon-j (Jan 13, 2009 10:48:14 PM)

コメントを書く